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岐阜地方裁判所 昭和32年(ワ)175号 判決

原告 小川貞雄

被告 富士火災海上保険株式会社

主文

被告は原告に対し金七十五万円及びこれに対する昭和三十二年六月六日以降支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを五分しその三を原告の負担としその余を被告の負担とする。この判決は原告の勝訴の部分に限り、原告において金二十五万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

第一、当事双方の申立

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金二百万円及びこれに対する昭和三十一年三月八日以降支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、原告訴訟代理人は請求の原因として、原告は昭和三十年十一月十七日被告との間に、原告所有に係る美濃市保木脇字ソリ百七十七番地の一所在家屋番号保木脇十五番木造瓦葺二階建居宅建坪二十八坪二階坪二十坪なる家屋(以下本件家屋という)及び同家屋内に存在する原告所有の家財道具類一式(以下本件家財という)を保険の目的として、何れも小口火災普通保険約款による(一)保険金額は本件家屋及び本件家財につき、それぞれ金五十万円、月掛保険料金六百八十円、保険期間昭和三十年十一月十七日より同三十一年十一月十七日午后四時まで一ケ年とする火災保険契約、(二)保険金額は本件家屋及び本件家財につきそれぞれ金二十五万円、月掛保険料金三百四十円、保険期間(一)に同じとする火災保険契約を締結し、更に同三十一年三月二日本件家屋を保険の目的として火災保険普通保険約款による保険金額金五十万円、保険料金二千円保険期間昭和三十一年三月二日より同三十二年三月二日午后四時までとする火災保険契約を締結した。ところが昭和三十一年三月七日午后六時頃右保険の目的である本件家屋並に本件家財は自火で全焼した。そして本件家屋の罹災当時の価格は金百二十五万円相当であり又、本件家財のそれは金七十五万円相当であつたから右火災により原告が蒙つた損害額は右合計金二百万円というべきである。よつて原告は被告に対し、右保険金額合計金二百万円及びこれに対する罹災の日の翌日である昭和三十一年三月八日以降支払済みに至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと述べた。

二、被告訴訟代理人は答弁として、原告主張の請求原因たる事実中、被告が原告と昭和三十年十一月十七日、同三十一年三月二日の二回に亘り本件家屋並に本件家財を保険の目的として、原告主張のような内容の火災保険契約をそれぞれ締結したこと、昭和三十一年三月七日右保険の目的である本件家屋並に本件家財が火災のため全焼したことは何れもこれを認めるが、その余の事実はすべてこれを争う。原告の本訴請求は次のような理由から失当として棄却さるべきである。

(一)  本件各火災保険契約中、本件家屋を保険の目的とする部分は無効である。すなわち原告は本件家屋が自己の所有に属するものとして、本件各火災保険契約の申込をし、被告は原告を本件家屋の所有権者としてこれを承諾した。すなわち本件各火災保険契約中、本件家屋を保険の目的とする部分については、原告が本件家屋につき有する所有権者としての利益を契約の目的としたのである。然るに原告は最初の保険契約締結の日である昭和三十年十一月十七日当時すでに本件家屋を訴外稲葉正一に売渡し、同二十九年十一月二十五日その所有権移転登記手続を結了していたのであつて本件家屋の所有権者ではなかつた。すなわち原告は本件各火災保険契約締結当時本件家屋につき所有権者としての被保険利益をもっていなかつたのである。従つて本件各火災保険契約中本件家屋を保険の目的とする部分は契約の目的を欠如し無効のものというべきである。

かりに右主張が容れられないとしても、被告は原告が本件家屋の所有権者でなければ右契約は締結しなかつた筈でこの点に錯誤があり、被保険利益は保険契約の要素であるから、右錯誤は要素の錯誤というべく、本件各火災保険契約中、本件家屋を保険の目的とする部分は無効たるを免れない。

又かりに原告が本件家屋の所有権者である訴外稲葉のため、本件家屋につき火災保険契約を締結する意思をもつてその申込をしたものとすれば、原告は申込に際し被告に対しその旨を申込書に記載して告知しなければならない。しかるに原告は、本件各火災保険契約の申込に際し右告知をしていない。ところで小口火災普通保険約款第九条第三号火災保険普通保険約款第六条第一号には他人のために保険契約を締結するものがその旨を申込書に明記して申出ないときは、保険契約は無効とする旨定められているのであるから原告が右のとおり訴外稲葉のために保険契約を締結したとするも、その旨の申出がなされていない本件においては、その契約は無効たるを免れない。

(二)(1)  本件各火災保険契約中、本件家屋を保険の目的とする部分については前記(一)の主張が容れられないとするも尚超過保険として一部無効を免れない。すなわち本件家屋の保険金額は合計金百二十五万円であるところ、その価格は契約締結時金五十万円に満たぬものであつた。従つて右保険価格を金五十万円とするも保険金額は尚金七十五万円を超過することとなりこの部分について契約は無効というべきである。

(2)  本件家財の保険金額は合計金七十五万円であるところ、その価格は契約締結時僅か金二万円程度であつた。従つて保険金額は保険価格を金七十三万円超過することになり、この超過部分について契約は無効というべきである。

(三)  本件各火災保険契約が前記(二)の限度において有効であるとしても又前記(二)の主張が容れられないとしても、尚被告は原告に対し次のような理由から保険金支払の責を負うものではない。すなわち、

(1)  本件火災は原告の放火によるものである。本件家屋は昭和二十九年十一月頃より空家として放置されていたのであり又右家屋に対する送電も同三十年二月二十八日以降廃止されていたのであるから放火以外に火災原因は考えられない。而して本件火災保険契約締結当時原告は、定職もなく、経済的に極めて窮迫した状態にあり数々の詐欺横領事件すら起していたのであつて、この間の事情から本件火災は原告の放火によるものというに難くない。従つて被告に損害填補の責任はない。

(2)  更に原告は昭和三十一年三月二日原被告間に締結された本件家屋を保険の目的とする保険金額金五十万円の火災保険契約に基く保険料金二千円を支払つていない。従つて被告は少くも右契約に関する限り、火災保険普通保険約款第二条所定の「保険期間が始りたる后と雖も保険料領収前に生じたる損害は之を填補する責に任ぜず」という条項により、原告に対しその保険金支払の責を負うものではない。

(四)  前記(三)(1) の主張が容れられないとしても尚被告は次の理由から昭和三十年十一月十七日原被告間に締結された小口火災普通保険約款による火災保険契約に関する限り保険金の支払を一時拒み得るものである。すなわち、右約款第二十一条は必要な調査を終了できないときは、損害の填補を調査終了時まで延期し得る旨定めている。本件火災については捜査機関においてその原因を捜査中であり、放火の疑が極めて濃厚であるから、被告においてもこの調査を追行する必要があり未だその調査を終つていない。従つて被告が右調査を完了するまでは被告は右保険金の支払を拒み得るというべきある。

と述べた。

三、原告訴訟代理人は被告の右主張事実中、原告が本件家屋につき訴外稲葉に対し昭和二十九年十一月二十五日その所有権移転登記手続をしたこと、原告が被告に対し本件家屋の所有権者として本件各火災保険契約の申込をなし、被告がその申込を承諾したものであることは何れもこれを認めるがその余の事実はすべてこれを争うと述べた。

第三、立証

原告訴訟代理人は甲第一乃至第五号証を提出し、証人稲葉れい、同小川徳市、同小川一三、同小栗久二及び原告本人の各尋問を求め、乙第八号証の成立は不知その他の乙号各証の成立は何れもこれを認めると述べた。

被告訴訟代理人は、乙第一乃至第六号証、同第七号証の一、二、同第八号証、同第九号証の一乃至七、同第十、十一号証を提出し、証人小栗久二、同春日井光治、同永田邦武、同山内正夫の各尋問を求め、甲第一、二号証の成立は不知、同第三乃至第五号証の成立は何れもこれを認めると述べた。

理由

一、原告が被告と昭和三十年十一月十七日本件家屋及び原告所有の本件家財を保険の目的として、原告主張のような内容の二口の火災保険契約を締結し、更に同三十一年三月二日本件家屋を保険の目的として原告主張のような内容の火災保険契約を締結したこと、昭和三十一年三月七日右保険の目的である本件家屋並に本件家財が火災のため全焼したことは何れも当事者間に争がない。

二、そこで被告は右各火災保険契約のうち、本件家屋を保険の目的とする部分は契約の目的を欠き無効であると主張するのでこの点について検討する。

成立に争のない甲第三、四号証、乙第四号証及び証人稲葉れいの証言によれば原告は昭和二十九年十一月二十四日頃訴外稲葉正一より金十二万円を借受け、その担保の趣旨で本件家屋の所有権を同訴外人に売買の形式で移転し、同月二十五日その所有権移転登記手続を結了した(所有権の移転登記手続をしたことについては当事者間に争がない)ことが認められ他に右認定を覆すに足る証拠はない。従つて原告と訴外稲葉とのいわゆる内部関係が何如ようなものであつても、少くとも本件家屋の所有権自体は完全に訴外稲葉に移転しており、唯場合によつて訴外稲葉がその所有権行使を債権担保という目的によつて拘束されることがあるに過ぎないと解すべきである。すなわち本件家屋の所有権は、右売買によつて訴外稲葉に移転し、原告は前記所有権移転登記手続の結了によつて、確定的に本件家屋の所有権を喪失したものというべく、唯場合によつて原告は訴外稲葉の本件家屋の所有権行使を債権担保という目的によつて債権的に拘束し得る法律上の地位を有し得るに過ぎないといわねばならない。ところで本件各火災保険契約中、本件家屋を保険の目的とする部分は原告が本件家屋の所有権者としてその申込をなし、被告においてその申込を承諾して成立したものであること、すなわち、本件家屋の所有権者としての利益を被保険利益として成立したものであることは当事者間に争のないところである。そして一般に不動産である建物の上には所有権者としての利益のみならずその他の法律上或は事実上の利益が重複交錯して存し得るのであり、それらが金銭に見積り得る限りそれらの利益をそれぞれ火災保険契約の目的となし得ることは多言を要しないところである。しかし被保険利益は火災保険契約の目的であり、従つてこれが異れば契約自体類型を異にする別個のものになるのであるから、火災保険契約関係において、具体的に被保険利益が選択、特定されれば、その被保険利益によつて特定された火災保険契約の被保険利益の有無に関する問題は、右特定された被保険利益についてのみ生ずるのであつて同一目的物上に存し得る他の類型の被保険利益にまで及ぶものではないというべきである。この関係を本件についていえば、本件家屋を保険の目的とした各火災保険契約が被保険利益を欠如するか否かの問題は原告が本件家屋の所有権者であるか否かの点に帰着し、原告が所有権者としての利益以外の利益をもつていたかどうかの点にまで及ぶものではないということになる。ところで原告は前叙のとおり本件火災保険契約締結当時すでに本件家屋の所有権を債権担保のため、訴外稲葉に譲渡し、且つその移転登記手続を了していたのであるから、原告は本件家屋につき所有権者としての利益を失つていたものというべきである。尤も右債権担保のための所有権譲渡が原告において債権者である訴外稲葉の本件家屋の所有権行使を債権担保という目的から拘束し得る場合であつたとすれば、原告が尚本件家屋につき、何等かの法律上の或は経済的な利害関係を有することは考えられる。しかしそれとても所有権者として有する利害関係とは全く異る類型のものであることは明白である。してみれば本件各火災保険契約中本件家屋を保険の目的とする部分は、保険契約の目的である被保険利益を全く欠如し無効というべきである。従つて、原告の本訴請求はこの部分に関する限り爾余の争点につき判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

よつて以下本件家財を保険の目的とする火災保険契約に基く原告の請求についてのみ判断する。

三、被告は本件各火災保険契約締結当時本件家財の価格は金二万円程度であつたから超過部分は無効であると主張するのでこの点について検討する。

成立に争のない乙第九号証の三乃至五、同第十、十一号証、証人山内正夫の証言によれば原告は昭和二十九年秋頃その所有に係る不動産を殆んど或は売却し或は担保に入れるなどして金策し、名古屋市に赴き、繊維類の行商を始めたが成功せず、同三十年春頃これを廃し、岐阜市に到りミシン加工業を始めたがこれも失敗に終り、同年十一月頃は経済的に極度に窮迫した状態にあつたこと、又その間金銭に窮し詐欺横領等の刑事事件を起し、同三十一年十月十日岐阜地方裁判所において有罪の判決を受けたこと、同二十九年十一月頃より原告は本件家屋に常住せず又管理人も置かず、同三十年二月頃には本件家屋に対する送電も廃止されたこと、訴外山内正夫が被告の依頼を受け、本件家屋罹災の日の二日後である同三十一年三月九日罹災現場に赴き損害の程度の調査をなしたこと、その結果本件家屋内にあつた家財道具類は火災のため全損の状態にあつたが焼残物より罹災当時の右家財道具類の価格は金二万五千五十円と推定されたこと等の事実を認めることができる。しかし原告が右のような経済的に窮迫した状態にあつて不動産を殆んど処分していたからといつて、直ちに家財道具類も亦処分していたであろうと推認することはできず(後記認定の仏壇の如きはしかく容易に売却し得るものでないこと公知の事実である)、又前記訴外山内の調査の結果もその調査が本件家屋の罹災の日の二日後になされたものであること前記のとおりであり、又罹災現場の保存も万全であつたと認めるに足る証拠はないうえ、前掲乙第十号証、証人山内正夫の証言によれば、本件家屋は完全に焼失したことが認められるので、右被告主張の事実を推認せしめる資料となすに足りず、却つて、証人小川徳市、同小川一三の各証言及び原告本人の供述によれば原告家は元素封家として知られ、原告の祖父、父の時代はよく繁栄し、家財道具類も整備していたこと、就中、仏壇、漁網の類は、何れも数十万円の価値のあるものであつたこと、原告が前述のような経済的に窮迫した状態にあつても家財道具類を売却した形跡のないこと等を認めることができるのであつて、これらの事実に徴すれば本件火災保険契約締結当時、本件家屋内には保険金額に相当する家財道具類が存在していたものと推認するに難くはなく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

従つて被告の右超過保険の主張は採用することができない。

四、次に被告は、本件家財の焼失は原告の放火によるものであるから被告は保険金支払の責を負わないと主張する。そして本件家屋の罹災当時原告が本件家屋に常住せず、且つ管理人も置かず又送電も廃止されていたこと前段認定のとおりであり又証人永田邦武の証言によれば本件火災の発火点は床下にあつたものと認められるのであつてこれらの事実から本件火災には放火の疑が濃厚に認められる。しかし本件火災が原告の放火によるものであることを認めるに足る証拠は遂にこれを見出すことはできない。

従つて被告の右主張も亦採用の限りでない。

五、更に被告は本件火災には放火の疑があるから被告においてこれが調査の終るまで一時保険金の支払を拒み得る旨主張する。そして、本件火災は放火の疑が濃厚であること前段認定のとおりであるから、被告においてこれが調査の必要は充分にあつたものといわねばならない。しかし調査の必要とは原告に対する関係におけるそれをいうものと解すべく前掲第九号証の三乃至五、証人小川一三の証言及び原告本人の供述等を綜合すると本件家屋の罹災直後原告は放火の嫌疑を受け、捜査機関の取調を受けたが結局その嫌疑なしとの理由で立件されず、単に当時並行して捜査されていた原告に対する詐欺横領事件についてのみ昭和三十一年四月頃起訴されたことが認められるのであるから、被告の必要とする調査はその頃終了したものと解すべきである。

従つて被告は原告に対し調査の未了を理由に保険金の支払を拒むことはできない。

六、よつて進んで原告が本件火災により蒙つた家財道具類の損害額について考察する。

本件家屋内に存在した原告所有の家財道具類が全焼したことは当事者間に争がなく、本件火災保険契約締結当時本件家屋内に保険金額合計金七十五万円に相当する原告所有の家財道具類が存在していたこと前記三、認定のとおりである。そして本件のような場合には、特別な事由のない限り契約締結時存在したものとは引続き罹災当時まで存在し、その価格に変動はないものと推定すべきであり、原告において、契約締結後本件家屋内に存在していた家財道具類を持出したこと、或は物価が下落したことなど特別な事由の認められない本件においては、罹災当時本件家屋内には保険金額合計金七十五万円に相当する家財道具類が存在していたものと認むべきである。従つて原告が本件火災によつて蒙むつた家財道具類の損害の額は金七十五万円であつたというべきである。

七、以上の理由により被告は原告に対し、本件家財を保険の目的とする各火災保険契約に基き、原告が蒙むつた前記損害額金七十五万円を填補すべき義務があるものといわねばならない。ところで被告の原告に対する右損害填補の義務は原告の請求(前記五記載のように被告に調査の必要のあるときは履行の請求後調査の終了)によつて遅滞に陥るものと解すべきところ、原告は本訴提起前被告に対し右履行の請求をしたことにつき、何等主張立証をしないから、結局原告は本訴提起によつてこれが請求をしたものと解すべく被告は本件訴状送達の時より遅滞の責に任ずべきである。

従つて被告は原告に対し、前記七十五万円及びこれに対する訴状送達の翌日であること本件記録上明かな昭和三十二年六月六日以降支払済みに至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

八、よつて原告の本訴請求は右限度において理由があるから、これを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村本晃 可知鴻平 川崎義徳)

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